福田和子のホステス時代、事件はなぜ起きたのか|世界仰天ニュース

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今回は、少々ダークな話にフォーカスします。
松山ホステス殺害事件」で知られる、犯人「福田和子」。

同僚を殺害した、ということそのものより、15年にも及ぶ逃亡生活中、繰り返し整形手術を行い、自分の顔を変えながら逃げ続けたこと、時効成立直前に逮捕されたという、逃亡期間の方が注目された事件です。

ぽー
ぽー

話題性が高くて、何度もドラマ化され、何人もの女優さんが福田和子を演じてきたよね。

そこでこの記事では、そもそも「なぜ事件が起こったのか」という原因の方を深堀りしたいと思います。
当たり前のことですが、事件を起こさなければ、このような逃亡自体する必要が無かったのです。

たいちゃん
たいちゃん

確かに、逃亡中より、事件がなんで起こったのかってあんまり詳しく知らないかも。

一見、家族思いで人当たりの良い彼女が、同僚を殺害し、長年逃亡することになる経緯はなんだったのでしょうか。

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福田和子のプロフィール

名前:福田 和子 (ふくだ かずこ)
生涯:1948年1月2日~2005年3月10日 (57歳没)
出身:愛媛県松山市
職業:ホステス 他
罪名:強盗殺人 / 強盗 / 殺人 / 死体遺棄 他
家族構成:二男二女 (2度離婚)
たいちゃん
たいちゃん

2度の離婚歴があるけど、2度目の婚姻期間には愛人がいて、逃亡中にも結婚寸前までの中になっていた男性がいたそうだから、異性からとてもモテる女性だったんだね。

ぽー
ぽー

正直なところ、絶世の美女…というわけではなくて、近所にいたら 「きれいなおばさん」 という印象だけど、何か人を惹きつける魅力がある人だったのかな…。

4人の子どもたちにとっては非常に良き母だったという福田和子。
「生まれながらの極悪人」 というような人では決して無かったようです。

子供時代

生まれは愛媛県の松山市。和子が幼いときに両親は離婚。
そして、母親は売春宿を経営していました。

たいちゃん
たいちゃん

これだけでも、あまり幼少時代の環境は良かったとは言えなさそうだね…。

ぽー
ぽー

イメージだけで一概には言えないけど、その後の彼女の生涯を見ると、愛情あふれる環境で育ったとは言い難いかもしれないね。

その後17歳のときに、交際していた男性と強盗事件を起こし逮捕、松山刑務所に服役します。
ここで、服役中の18歳のとき、「松山刑務所事件」 が起き、和子は事件の被害者となるのです。

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松山刑務所事件とは

ぽー
ぽー

松山刑務所事件」 ってどんな事件で、和子はどんな被害にあったんだろう?

当時、暴力団抗争によって大量に逮捕された暴力団員が、刑務所の看守を買収、刑務所内のパワーバランスが崩れ、拘置所が無法地帯となってしまいました。

所内の鍵を暴力団員が持ち歩き、飲酒や喫煙もあたりまえ、看守も組員を介して女性囚人と関係を持つなど、とんでもない環境だったそうです。

そしてそんな中、強姦も当然のように発生しており、その強姦の被害者の一人が和子だったのです。

たいちゃん
たいちゃん

日本の刑務所でこんな凄惨なことが実際に起こったなんて、にわかには信じられないな…。

看守まで汚染されている刑務所内で、助けを求めるすべもなく、暴力団員から強姦を受けるというのは、想像を絶する恐怖と屈辱であったと思います。

その後、事件自体は、副看守長2名が自殺、強姦事件の被害者からの告訴も無かったことから、真相が解明されることもなく、事件の存在そのものが無かったことにされ、完全に闇に葬られました

ぽー
ぽー

憶測に過ぎないけど、このときの経験は、後の福田和子自身の価値観や考え方に大きな影響を与えたんじゃないかな。

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出所後~事件発生

出所後、和子はホステスとしてキャバレーで働き、このときには、すでに2度目の結婚をしており、子供もいました。

そして1982年、働いていたキャバレーで同僚だったホステスの首を絞めて殺害、「松山ホステス殺害事件」 が発生するのです。

この殺害された同僚のホステスですが、キャバレーのNo.1ホステスだったそうです。
このため、裕福で、結果として和子はこのホステスの金品、通帳や印鑑、家財道具すべてを奪っています。

ただ、強盗だけが目的ではなく、No.1ホステスという相手への女性としての嫉妬や、以前から話をしていたという 「一緒に店をだす」 ということ対する相手の態度に腹を立てたという話もあります。

たいちゃん
たいちゃん

単純な 「金品目的の物盗り」 というだけではなかったんだろうね。

ぽー
ぽー

“お金がほしい” というだけじゃなくて、被害者に対する嫉妬や憎悪が強くあって、その結果、被害者のモノをすべて奪うという行為に及んだかも。

相手は指名No.1で輝いて見える一方、自分 (和子) は刑務所に服役した経験と、強姦の被害者という “埋められない差” に、知らぬ間に黒い感情の渦が膨張していったのかもしれません。

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15年逃げ続け、なぜ最後の最後で逮捕されたのか

たいちゃん
たいちゃん

ここから、有名な長い逃亡が始まるんだね。

整形手術を2度に渡り受け、20もの偽名を使い分け、北海道から山口県まで、全国規模で逃亡を続けていたと言われています。

逮捕されたのは1997年、当時潜伏していた福井市内にあるおでん屋の店主からの情報提供と、ビール瓶とマラカスから採取した指紋が福田和子のものと一致したためでした。

当時、和子はこのおでん屋に頻繁に通う常連となっており、店主は、ワイドショーなどで頻繁に流れる時効目前の和子の事件と肉声を聞き、「犯人なのではないか」 と思うようになったそうです。

ぽー
ぽー

整形でどれだけ顔を変えても、名前をいくつ変えても、声を変えることができなかったということだね。

そして、時効成立21日前で逮捕されるという、幕切れはなんとも劇的なものでした。

たいちゃん
たいちゃん

でも、そもそもなぜおでん屋の常連になってたんだろう。
僕がもし逃亡犯で、時効成立数日前まで逃げられていたとしたら、絶対にホテルから出ないけどな。

徹底的に隠れて人と接さずに、時効が成立するまでひたすら待つと思う。

ですが、彼女は普通に生活し、常連のおでん屋に通い、人との交流を続けていました。

逮捕後、福田和子と何度も面会した出版プロデューサーの平田静子さんに対し、

あなたのように、普通にサニーサイド (陽の当たる世界) で生きてきた人には、到底分かりようがない。私のように租界そかいでずっと生きてきた人間のことは、あなたには分からないでしょうね。

と話したそうです。

そして、平田さんに送られてきた和子からの手紙には、「どうして自分から身を投げたのか、色々あるけど、私は、福田和子に戻りたかったんですよ。きっと!きれいになりたかったんですよ、きっと。」 と記されています。

ぽー
ぽー

逃亡生活を続けながらも、彼女の心の中には 「普通に生きたい」 という願い、想いみたいなものが常にあったのかもしれないね。

たいちゃん
たいちゃん

最も、本当の理由は福田和子本人にしか分からないところだけど、平田さんに和子が話したことには、少し心が痛むよ…。

和子は、その後自らの逃亡を綴った 「涙の谷: 私の逃亡、十四年と十一カ月十日」 という本を出版し、2005年2月、和歌山刑務所でくも膜下出血を起こし入院、3月10日に入院先の病院で、脳梗塞により死去しました。

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まとめ

いかがでしたでしょうか。
彼女の逃亡生活は何度もドラマ化され、壮絶な逃亡・逮捕劇として有名ではありますが、その前後も、波乱万丈な人生であったことが分かりました。

ぽー
ぽー

最近は 「親ガチャ」 「子ガチャ」 なんて言葉も流行ってるよね。

たいちゃん
たいちゃん

子供の頃の環境は人格の形成に非常に重要であることは間違いないと思うけど、それでもやっぱり、どんな理由・背景があったとはいえ、人の命を奪うということはあってはならないことだよ。

普通に生きたかった彼女は最終的に刑務所で一人亡くなったわけですが、もし彼女があのとき同僚の首を締めなかったら、和子は平凡で幸せな生活を手に入れられていたのだろうかと、思わずにいられません。

 

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コメント

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